地域みんなで金魚を発信!これぞまさに「金魚のまち」。
近鉄郡山駅周辺を歩いていると、町のあちこちで金魚と出会えます。マンホールや車止め、フェンスなどの公共物をはじめ、電気屋のショーウィンドウに置かれた電子レンジの中、コーヒーショップの電話ボックスにも金魚が優雅に泳いでいます。
また、全国金魚のお部屋・おうちデザインコンテストで最優秀作品となった、駅の改札口を模した水槽まで!商店街にあるお店では「金魚ソーダ」や「金魚あんみつ」といったメニューもあります。もちろん、大和郡山市のゆるキャラは金魚をモチーフにした「きんとっと」です。街全体で金魚の街を発信されています。
金魚を探しながら街歩きをするのも大和郡山市の楽しみ方の一つです。





「金魚」と共に生きる、歴史深き大和郡山市
金魚のルーツは今から約2,000年前。中国南部地方で野生のフナの中から赤色のものが発見されたのが始まりとされています。日本では室町時代(1336-1573年)の中頃に中国から渡来し、当時は貴族や富豪の愛玩物として飼われていました。
大和郡山市における金魚の金魚養殖の由来は、約300年前。山梨県の大名・柳澤吉里候が大和郡山市に移ったときに始まったと伝えられています。江戸時代(1603-1868年)末期の頃になると藩士の副業として、明治維新後は職を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。
また、大和郡山市には農業用溜池もたくさんあり、そこにはミジンコなどの微生物も多くいたことから、金魚の稚魚のエサに適していたのです。つまり歴史的背景に加え、自然環境も整っていたことから、金魚養殖にとって有利な条件が備わっていました。1960年代には、経済発展と養殖技術の進歩に伴い生産量は年々増加。国内だけでなく、欧米諸国や東南アジアといった海外への輸出もはじまりました。
そして現在、最盛期に比べると減少はしているものの、養殖農家約50戸、養殖面積約60ヘクタールもあり、年間約6,000万匹の金魚が販売される、全国屈指の「金魚のまち」として知られています。

城下町の風情を残した、情緒豊かな街並みも魅力。
日本の美しい風情を間近で感じられる郡山城跡は、「日本の桜百選」にも選ばれている桜の名所の一つ。約430年前に筒井順慶(織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将)によって築城したのがはじまりですが、豊臣秀吉の弟・秀長も居城していました。郡山城跡一帯は公園化されており、見学は自由にできます。
城跡周辺には細い路地が多く残り、まるで迷路を楽しむように町散策をするのもおすすめです。路地には昔ながらのお店と新しいお店が並び、新旧が融合した独特の街並みが広がります。他では見られない、城下町ならではの景観が魅力です。



